このサイトについて
サイト開設にあたって
夏の富士登山シーズンになると、その年に一緒に登るメンバーに富士山の登り方や装備について簡単な案内をメールしていました。といっても、もう何度もご一緒してるメンバーには送るのをさぼりましたが。その友人たちから時々「あの時のメールをまた送って欲しい」といまだに頼まれると少し嬉しかったり。
富士山に登るという知人から色々と質問を受け、そういうことならばとそのメールにちょっとしたコツなんかも書き加えたものを印刷して渡したら、とても喜んでくれました。下山後には「あのプリントがあったから!みんなで回し読みした」なんて言われ、ひとり満足していたり。
富士山に登っていると、とても苦しんでいる人を見て時折「もっとこうすれば苦しくなくなるだろうに」なんて思ったりします。自分だって体力が足りなくて苦しいんだけど、そんなことは棚にあげておいて。
富士山に登るには、夏の開山期であれば高度な登山技術は必要ありません。そうは言っても富士山は日本一の山だから、登るにはそれなりに大変です。初めて富士山に登ろうとしている人、登頂に失敗して再チャレンジを目指す人、登ってはみたいけど悩んでいる人。ほんの少しでも、そんな方達のお役に立てたら幸いです。
なお、このサイトは基本的に私個人の実感値で書いています。
なかには誤りがあるかもしれませんので、お気づきの方はどうぞ指摘してやってください。
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![2000年7月23日 夜明けの笠雲[富士宮口8合目付近] 2000年7月23日 夜明けの笠雲[富士宮口8合目付近]](http://fuji.kougyoku.jp/photos/2010/06/fuji1.jpg)
2000年7月23日 夜明けの笠雲[富士宮口8合目付近]
初めての山歩き
20世紀が終わろうとしている頃、まだ20代だった私は山歩きにはまりました。
それまでといえば、体育の成績はいつも“2”でマラソン大会は毎年ビリ。運動会、陸上競技会、マラソン大会、どうすれば学校へ行かなくて済むかと心を悩ませていた、典型的な運動音痴です。そのまま大人になり、自宅から100m離れたコンビニに行くもの重労働で、それなりの決意がないと出掛けられないという有様。
そんなんではいかんぞと、無理矢理連れて行かれた高尾山で、山登りに開眼しました。といっても山登りの素晴らしさ云々ではなく、山で食べる握り飯と唐揚げのなんて美味いこと!たくさん汗をかいて下山後に食べる山菜とろろ蕎麦ったら、体に染み入る塩分がたまらない。
一時期は毎週のように高尾山に通いました。だからと言ってすぐに体力がどこからか湧いてくるはずもなく、あろうことか連れは体力が有り余っているものだから、最初の頃はどうしたら山中に置き去りにされないか必死でした。そう、幸か不幸か連れは待っていてくれないのです。
そうして身につけたのが、乏しい体力だけで1日歩き通すためのちょっとしたコツでした。
初めての富士登山・富士山頂での結婚式・単独登山
2000年7月、初めて富士山に登り、それからは夏の恒例行事といえば富士登山になりました。
2005年には、富士山頂にある浅間大社奥宮で結婚式を挙げました。同行してくれた参列者は高山病に苦しみ、今にも吐きたいところをこらえて御神酒に口をつけてくれました。ありがとう。
恒例富士登山の数日後、朝起きて空を見上げ、これなら先3日は天気は崩れないだろうと、ふらり1人で富士山に出かけたのが2006年。1人で登るのも初めてならお鉢巡りをしたのも初めてで、山小屋に泊まるのも初めて、1年に2回登ったのも初めて、初めてづくしの登山でした。当時は富士南麓で暮らしていて、自宅で仕事をしていたからこそ為せた業です。
これまでに利用した登山道は、登山に富士宮口・須走口、下山に御殿場口+富士宮口・須走口です。吉田口(河口湖口)を利用したことがないため、このサイトはこの辺りの情報が不足しているかもしれません。
may

2006年8月4日富士山頂 剣ケ峰にて
1974年5月 関東平野は千葉県に生まれる。
利根川と田んぼしかない地平線を実感できる所で育つ。“ヤマ”といえば、標高37mの山が“ヤマ”だった。確かに地名にも“ヤマ”が入っていたもの。
現在は東京在住、子育てと家事と仕事に迷走中。
デザインだとかコーディングだとか、Webにまつわるあれこれを生業にしています。
富士山検定2級
本日も、あおやかに。
http://may.kougyoku.jp/
娘のアオとオトウさんの家族3人、文豪の愛したまち本郷での暮らしをつらつらと綴っています。
富士日誌
http://www.kougyoku.jp/fujinishi/
静岡県は富士市で過ごした数年間のブログ。
更新予定はありませんがサイトは残しておきます。